女の一生 一部キクの場合

(ネ タ バ レ ア リ)
この間「深い河」の時に書いたとおり読みました。読んだのはこれではなく新潮社から発刊されている文庫本の方(女の一生〈1部〉キクの場合 (新潮文庫))なんですがそっちは画像がなかったので・・・。
この本は・・・、あたしはどちらかというと子供の頃から本はたくさん読んできたと思うのですが一番愛すべき本になりました。
先の「深い河」や小学校高学年の時に読んだ菊池寛の「恩讐の彼方に」など大好きな本と共に肩を並べる、いや、それ以上のものです。
大好きな安藤裕子がこの「女の一生」を読んで「六月十三日、強い雨」という曲が生まれました。そこから遠藤周作はもともと好きだし大分前に読んだ「沈黙」も好きな本だし、読んでみるかー、くらいに思ったのとこの「女の一生」というモロあたし好みのタイトルに惹かれました。
女の一生は「1部、キクの場合」と「2部、サチコの場合」と2部あります。歌の題材になったのはこの「六月十三日、強い雨」というタイトルからして「一部キクの場合」の方だと思います。

余りにも短く清らかな愛の生涯。愛のためにすべてを捧げた女のひたむきさ。切支丹弾圧の長崎を舞台にくりひろげられる名作長篇。

素敵な曲だけど、この六月十三日、強い雨の夜中午前3時、隠れ切支丹(キリシタン)狩りとして奉行所の黒い列帯170人余りが不意を付いて切支丹の村を襲い切支丹を生け捕りにした悲劇の始まりの日。「女の一生 第一部キクの場合」は江戸末〜明治にかけての開国したとはいえ、日本人がキリスト教を信仰するのは禁止されていた時代に、キクという切れ長の眼をした美しい若い女が切支丹の若者清吉を一生をかけて愛した話。捕らえられた清吉の為に*1上役人に渡す金を作るため体を売りお金をつくり、下役人(伊藤清左衛門)にその金と食べ物や衣類を託すもその伊藤は食べ物や手紙・衣類は清吉に渡すものの金は役人に渡さずこともあろうかその金で豪遊。
彼が牢に入れられてる間、彼女は切支丹ではないのだが聖母マリアに懇願したり妬んだり*2、恨み言をつらつら言ったりと切支丹や聖母マリアを受け入れようとはしないものの、願うのは結局聖母マリアしかなく何度もマリアの前に佇む。そして最期もマリアの前に赴き、牢の清吉を思いながらもマリアに語りながら息を引き取る。
安藤さんの歌の中の「あなた」は愛する清吉のことも聖母マリアのことでもあるのではと思うとなんだか理解できる。


普段「結婚して一生1人の男性を好きだなんてあたしにはムリよ」と日々思ってたのだけど、こういう強く烈しい愛し方も素敵だなと思います。
感想は本当に今はまだ言葉で言い表せないことが殆どです。もう少し遅く生まれていれば二人はきっと幸せになれたんでしょうね。
ありきたりな書き方なんですがほんとにいろんなことを考えたり思わされた作品です。

だけど女は恋によってとても強くなれることも弱くなることも出来るんですよね。それは自分の経験でもこの本を読んででもそう思う。

この本をこの時期に読めてほんとによかった。今年ズルズルとやってきたこととも決別し、来年に向けて新しくやっていけそうな気がしてきました。キクに礼が言いたいくらいに。次はこういう風に人を思えることが少しでも出来たら・・・と思う。来年やっと大殺界も抜けるしね。いいきっかけ。


この本は「浦上四番崩れ」という幕末・明治の切支丹迫害事件を題材にしたとあります。多くの登場人物にはモデルがあり、実名を使ってる人物も複数。キクが倒れた聖母マリア像もその場所で今も残ってるそうです。やっぱり長崎に行きたい。
ちなみに筆者遠藤氏もカトリックの洗礼を受けた人です。

次は引き続き2部サチコの場合を読みます。こちらも楽しみです。

*1:拷問を少しでも軽く、少しでも彼に酷いことをされないようにと

*2:清吉があまりにもマリアさまを信仰・良くいうからくる嫉妬